2015-06-28

社員旅行、大阪・奈良・京都 ④ 『法隆寺篇』

ここから観光バスに乗って

奈良に移動です。


初*奈良です。


移動中もチャージ




本日3本目ぷしゅ~。



朝もですけど、移動中は雨が降るんですけど

いざバスを降りると雨が止むんです。




雨が止んで法隆寺に到着。




法隆寺(ほうりゅうじ)
奈良県生駒郡斑鳩町にある寺院。聖徳宗の総本山である。別名は斑鳩寺(いかるがでら、鵤寺とも)、法隆学問寺など。

法隆寺は、日本仏教興隆の祖である聖徳太子が創建した寺院である。

通説によれば、推古天皇9年(601年)、聖徳太子は斑鳩の地に斑鳩宮を建て、この近くに建てられたのが法隆寺であるとされる。金堂の「東の間」に安置される銅造薬師如来坐像(国宝)の光背銘には「用明天皇が自らの病気平癒のため伽藍建立を発願したが、用明天皇がほどなく亡くなったため、遺志を継いだ推古天皇と聖徳太子があらためて推古天皇15年(607年)、像と寺を完成した」という趣旨の記述がある。しかし、正史である『日本書紀』には(後述の670年の火災の記事はあるが)法隆寺の創建については何も書かれていない。




柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 正岡子規

が有名ですよね。


五重塔を中心とする西院伽藍は

現存する世界最古の木造建築物群だそうで




法隆寺の建築物群は法起寺と共に

1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」として

ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。



中 門



国宝<飛鳥時代>

西院伽藍の本来の入口となる中門の深く覆いかぶさった軒、その下の組物や勾欄、それを支えるエンタシスの柱、いずれも飛鳥建築の粋を集めたものです。重厚な扉と左右に立つ金剛力士像(奈良時代)は、日本に残っている最古のものです。




五重塔





国宝<飛鳥時代>

塔はストゥーパともいわれ、釈尊の遺骨を奉安するためのものであり、仏教寺院において最も重要な建物とされています。高さは約31.5メートル(基壇上より)で、わが国最古の五重塔として知られています。

この最下層の内陣には、奈良時代のはじめに造られた塑像群があり、東面は維摩居士と文殊菩薩の問答、北面は釈尊の入滅(涅槃)、西面は釈尊遺骨(舎利)の分割、南面は弥勒菩薩の説法が表現されています。




夢殿




国宝<奈良時代>

聖徳太子が住まわれた斑鳩宮跡に、行信僧都という高僧が、聖徳太子の遺徳を偲んで天平11年(739)に建てた伽藍を上宮王院(東院伽藍)といいます。その中心となる建物がこの夢殿です。八角円堂の中央の厨子には、聖徳太子等身と伝える秘仏救世観音像(飛鳥時代)を安置し、その周囲には聖観音菩薩像(平安時代)、乾漆の行信僧都像(奈良時代)、平安時代に夢殿の修理をされた道詮律師の塑像(平安時代)なども安置しています。この夢殿は中門を改造した礼堂(鎌倉時代)と廻廊に囲まれ、まさに観音の化身と伝える聖徳太子を供養するための殿堂として、神秘的な雰囲気を漂わせています。。



何故か金堂を写メるの忘れてる…。


ちゃーんと中に入って

薬師如来像を拝んできたんですけどね。

もちろん中は撮影禁止だったので

撮影してません。



なので薬師如来像の画像を拝借しました。




穏やかな顔をされていますね。


薬師如来は病気平癒の仏様だそうで

ここでは、母へのお守りを買いました。




法隆寺を散策していると

目につくのが瓦!


いろんな瓦があって眼福でした♪


同僚達からは「何、瓦ばっか撮ってんの?」と

変な人扱いされたけど気にしな~い(笑)




帰ってきて調べて知ったんですけど

法隆寺は


法隆寺の寺域に並ぶ建物のほとんどは、瓦葺き。しかも、建物は1300年前の昔から現代にいたるさまざまな時代のものが揃っており、それぞれが建てられた時代の瓦を屋根に葺いています。
「法隆寺は瓦の博物館」と言われいます。

だそうです。

知りませんでした。

次は、もっと注意深く見て廻りたいな。



私の瓦コレクションです(笑)


鬼(?)と桃が多い中

兎もいたりして楽しかったです♪



最後に大宝蔵院を見学しました。

とても見応えのあるお宝で眼福でした。




ここではお守りの他に

すいかの奈良漬けを買いました。


珍しいですよね。




またバスに乗って移動です。


本日4本目をぷしゅ~。



まだまだ続きます。



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